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2016年1月30日土曜日

理性か知性を欠いた者だけが挑戦できる(『バッテリーウォーズ』)

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前回と同じように、『バッテリーウォーズ』から印象に残った文章を引用します。今回も本筋とは少し離れますが、ベンチャー・キャピタリストのビノッド・コースラ氏の大胆な発言です。なお彼は、UNIXやJavaで一時代を築いたサン・マイクロシステムズの創業者の一人です。

講演の冒頭でコースラは、ガソリンが無敵だという前提に異議を唱えた。最近の実績を見れば、現在使われているほかのテクノロジーと同じくガソリンも脆弱だということがわかるはずだという。ガソリンに勝てる見込みが低いという事実こそ、まさに彼が勝利を目指す理由だった。勝てれば天文学的な金銭的利益が得られるからだ。「専門家たちは一様に2008年の金融危機について物知り顔で語っていますが、2008年6月の時点では誰もあんなことは予想していませんでした」と彼は言う。エネルギーについても事情は同じで、専門家はシェールガスの将来について今でこそきわめてはっきりした言い方をしているが、2008年には誰もそんなものが使いものになるとは予見していなかった。

「成功の確率が0.01パーセントだと言われても、私は受けて立ちます」と彼が言った。

壁にスライドが映し出された。「見えない方のために説明します。縦軸が成功の確率、横軸がインパクトの大きさを表します。テクノロジーの失敗する確率が90パーセント以上の場合、きわめて破壊的なインパクトが生じやすいということです」ベンチャーキャピタリストにとって、確立されたビジネスパターンの破壊、そしてそれに伴う新しいビジネス手法の創出は、ずば抜けて大きな利益をもたらすことが多い。

たいていのベンチャー投資家やエンジェル投資家はそんなやり方をしない、と彼は言う。失敗のもたらす結果と成功のもたらす結果に極端な差が生じない程度までリスクを抑えようとするのだ。

「私が提案したいのは、その正反対のやり方です」とコースラが言った。大きなリスクとそれがもたらす潜在的なメリットをむしろ歓迎すべきだという。

コースラは、目の前に座る出席者のほとんどまたは全員の耳に彼のメッセージが届いてはいても、聞き入れる者はごくわずかだとわかっていた。「ほぼ不可能なことに挑戦できるのは理性か知性を欠いた者だけ」だからだ。侮辱的な言葉を浴びせれば、少なくとも相手を困惑させるくらいの効果はあるかもしれない。「物事がうまくいかない理由を常に説明できる専門家は、理性と知性を備えた人間を常に脅かして、途方もないアイデアへの挑戦を妨げることができるのです」と彼は語った。(p.269)

2016年1月28日木曜日

羊飼いの少年が期せずして成功する話(『バッテリーウォーズ』)

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バッテリーウォーズ』という本を読みました。内容は副題が示す通りのもので、「次世代電池開発競争の最前線」です。エネルギーや素材関係の話題には興味があるので期待して手に取ったのですが、読み始めのころはハズレだったかと案じました。書き出しには引きこまれず、突出したヒーローは不在、淡白な文体、そして地味な話題と、四重苦状態だと感じたからです。それでも100ページ目、150ページ目と読み進めていくうちに、実は楽しんでページを繰っている自分に気がつきました。そして静かなクライマックスに向けて一気に読了できました。

本書では研究開発やイノベーションの現場が、飾ることなく描写されています。登場人物は研究所や先端企業で働く頭脳明晰な人ばかりですが、彼らのふるまいや願望は一般人と同じで、等身大の群像劇が展開されています。様々なものごとがごったがえす中、技術はたゆまずに進歩し、ビジネスは拡大の機会をうかがい続けます。本書の中心的な役割はそういったイノベーション小史を楽しむ点にあると思いますが、それ以外の読み方もできます。日米におけるR&Dの比較という視点が持てたり、ベンチャー・ビジネスのケース・スタディーとしても参考になります。なおテスラモーターズのCEOイーロン・マスクも出番が少しありますが、端役の扱いです。

その本書から今回引用するのは、主題とはまるで関係のない話題です。モロッコ出身のアミーンという名の印象的な人物が登場しますが、彼の祖父が過ごした劇的な人生についてです。

一族の伝説は20世紀の初めごろにさかのぼる。アミーンの母方の祖父ベナディールが、12歳のときにアガディール港周辺の山で羊飼いをしていたころの話だ。ベナディールはしょっちゅう年配の男に叩かれた。しかしあるとき、耐えかねたベナディールが石をつかんで老人の頭を殴りつけると、相手は倒れて動かなくなった。少年はおびえて逃走した。

ベナディールが隠れていると、青果を積んで牽引車につながれた荷車が通りかかった。ベナディールは荷車によじ登ってすぐさま身を隠した。それから二、三日間、荷車は海岸沿いを進んでいった。ベナディールは積んである果物や野菜を食べて過ごした。しかしカサブランカに到着すると、荷主に見つかって路上に放り出されてしまう。ベナディールは歩きながら物乞いを始めた。汚れまみれで疲れきった彼は、一軒の家の前に立った。中にいたフランス人の婦人が哀れんで、ベナディールを招き入れた。それから彼の体をきれいにして、家事係としてこの家にいてよいと言った。

この婦人が何という名だったか、アミーンは覚えていない。ともあれ、婦人の夫はいくつもの店を所有する商人で、あるときベナディールはこの主人から一軒の店番を命じられる。ベナディールはこれをとても責任の重い仕事だと思い、きちんと朝5時に店を開け、真夜中に店を閉めた。夜は店で眠り、食事も店でとった。しばらくすると、主人は店の儲けが大きく増えたことに気づいた。そこで少年にさらに多くの店を任せ、彼を息子のように扱い始めたのだ。

1956年、モロッコはフランスとスペインから独立を勝ち取った。ベナディールを置いてくれたフランス人一家は、ほかの多くの外国人と同様に大あわてで帰国した。出国する際に、主人は事業をベナディールに譲った。こうして、アミーンの祖父は地元でかなりの大物になったのだった。(p. 72)

2016年1月26日火曜日

ガルブレイスの好んだ寒々とした世界(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の5回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

次にあげたいのは、経済学者の伝統的な考えにおいて、bezzle(ベズル)という考えに含まれる意味を考慮していないことがよくある点です。もう一度言いますよ、「ベ・ズ・ル」です。

この「ベズル」という言葉は「横領(embezzle)」という言葉を短縮したものです。ある期間において未発覚の横領が増加した数量を示すために、ハーバードにいた経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスが考案しました。彼は、1ドル当たりでみた未発覚の横領が、消費に対して非常に強力な刺激を与える様子を観察したことから、この言葉を考え出したのですね。結局は、横領をした者は実入りが増えるので消費を増やしますし、雇用主のほうは自分の資産が消えたとは露ほども知らず、以前と同じように消費するわけです。

しかしガルブレイスは自分の洞察をそれ以上押し進めませんでした。物議を醸すだけにとどめることで満足していたのです。ですから、これから私がガルブレイスの持ち出した「ベズルな」概念を、論理的に考えられる次の段階に進めてみることにしましょう。ケインズが示したように、収入の動きに敏感な経済では、たとえば針子(はりこ)が靴職人へコートを20ドルで売れば、靴職人は消費に回せる金銭が20ドル減りますし、針子のほうは20ドル増えます。この場合、消費全体でみると「とびっきりな」効果は生じません。ところがそこで政府が20ドル札を1枚刷って靴を1足買えば、靴職人は20ドル増えることになり、貧しさを感じる者はいなくなります。さらに靴職人がコートを買って…というプロセスが連続すれば、無限に増えることはないものの、ケインズが言うところの乗数効果が生まれます。これは消費における、ある種の「とびっきりな」効果ですね。それと同じで、未発覚の横領は同規模の誠実な物々交換とくらべて、1ドル当たりでみた消費に対して強い刺激を与えます。スコットランド人であったガルブレイスは、自分の洞察が示した荒涼とした世界を好んでいました。結局のところスコットランド人たる彼は、さだめであって修正のきかぬ出来たての天罰を喜んで受け入れたのです。我々にとってガルブレイスの洞察は心惹かれるものではありません。にもかかわらず、彼の考えが大筋で正しいことは認めなければならないでしょう。

For another thing, the traditional thinking of economists often does not take into account implications from the idea of “bezzle”. Let me repeat: “bezzle,” B-E-Z-Z-L-E.

The word “bezzle” is a contraction of the word “embezzle”, and it was coined by Harvard Economics Professor John Kenneth Galbraith to stand for the increase in any period of undisclosed embezzlement. Galbraith coined the “bezzle” word because he saw that undisclosed embezzlement, per dollar, had a very powerful stimulating effect on spending. After all, the embezzler spends more because he has more income, and his employer spends as before because he doesn’t know any of his assets are gone.

But Galbraith did not push his insight on. He was content to stop with being a stimulating gadfly. So , I will now try to push Galbraith’s “bezzle” concept on to the next logical level. As Keynes showed, in a naive economy relying on earned income, when the seamstress sells a coat to the shoemaker for twenty dollars, the shoemaker has twenty dollars less to spend, and the seamstress has twenty dollars more to spend. There is no lollapalooza effect on aggregate spending. But when the government prints another twenty-dollar bill and uses it to buy a pair of shoes, the shoemaker has another twenty dollars, and no one feels poorer. And when the shoemaker next buys a coat, the process goes on and on, not to an infinite increase, but with what is now called the Keynesian multiplier effect, a sort of lollapalooza effect on spending. Similarly, an undisclosed embezzlement has stronger stimulative effects per dollar on spending than a same-sized honest exchange of goods. Galbraith, being Scottish, liked the bleakness of life demonstrated by his insight. After all, the Scottish enthusiastically accepted the idea of pre-ordained, unfixable infant damnation. But the rest of us don’t like Galbraith’s insight. Nevertheless, we have to recognize that Galbraith was roughly right.

備考です。同じガルブレイスの話題は、過去記事「Febezzlement」でも取りあげています。

2016年1月24日日曜日

望まない習慣に生活を支配される(『脳が冴える勉強法』)

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チャーリー・マンガーやウォーレン・バフェットが好んで使う表現のひとつに、「習慣という鎖は、初めは軽すぎて感じられないが、やがて重くなって壊せなくなる」というものがあります。過去記事で何度かとりあげています(例1例2)。 最近読んだ本『脳が冴える勉強法』でも同じことに触れた箇所がありましたので、以下に引用します。

ヘッブの法則[脳神経ネットワークの同じ箇所に同じ刺激が繰り返し与えられることで、学習がなされる]が重要な意味を持つのは、学習の原理としてだけではありません。人間の行動が強化される原理、つまり習慣化の原理としても、ヘッブの法則は重要な意味を持っています。

習慣化の原理として考えたときに、ヘッブの法則が怖いのは、それが望むと望まざるとにかかわらず、起こってしまう、ということ。本人が望んでいなくても、繰り返した行動がヘッブの法則により強化されてしまう、ということです。

たとえば、デスクについてまずパソコンを起動させる。起動させたら、まずブラウザを立ち上げる。ブラウザを立ち上げたら、何となくニュースサイトを読み始めて、特に興味のない記事までリンクを辿って読んでいく。そういう行動を毎日繰り返したとします(それが悪いことだというわけではありませんが)。

そうすると、その行動を習慣化したいと望んでいるわけではなくても、その行動にまつわる回路が強化されます。デスクにつくというきっかけの行動を取っただけで、後は自動再生されるように、一連の行動をとってしまう。

生活のごく一部にそういう望まない習慣を持っているだけならいいですが、私たちは普段から注意していないと、いつの間にか望まない習慣に生活を支配されている状態になりがちです。

サミュエル・スマイルズの『自助論』の中に、次のような表現が出てきます。

「時間の浪費は、精神に有害な雑草をはびこらせる」

神経学的に翻訳するなら、実際に(脳の中に)はびこるのは、悪習慣の強い回路です。そして、いつの間にかそれに動かされて、膨大な時間を浪費するようになってしまう。

これは若い頃だけの話ではありませんが、若い人の方が残されている人生の時間が長いので、より大きな損失を被るのは確かだと思います。(p.136)

2016年1月22日金曜日

バリュー投資家は難しい時期に恩恵を受ける(セス・クラーマン)

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2009年3月のOID誌に掲載されたセス・クラーマンの講演記事から引用がつづきます。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<クラーマン> 短期的な成績を追求する投資ビジネスに固有の圧力に抵抗でき、狙いを定め続けられるバリュー投資家は、むずかしい時期でさえも利益を上げることのできる多面的で柔軟な各種の道具を備えています。第一に、バリュー投資家はおのれの原則を守って良い時も悪い時も辛抱し続けられるので、割安な銘柄を保有できます。これは根底にある価値よりも割安に買った証券なので、安全余裕を授けられています。ただし保有銘柄の株価が下落しないとか下落などありえない、という意味ではありません。株価が下落すれば買い増しを検討したくなるような、より好ましいバーゲン銘柄になるという意味です。高い割合で借り入れをしている企業の株式や問題を抱えた金融会社、いつまで経っても大きくなれない事業やリスクの大きいジャンク債、そのような証券には手を出さないとする規律を厳格に守ってきたバリュー投資家は、むずかしい時期にはまちがいなく恩恵を受けます。それらの投機的な銘柄を保有している人は、市場が下落するとみずからの選択を早々に後悔することになるでしょう。(p. 2)

Klarman: Value investors who are able to maintain their focus and resist the pressures inherent in the investment business to pursue short-term results have a multifaceted and adaptable tool kit that should allow them to prosper even in difficult times. First, by maintaining their discipline and by remaining patient in good times and bad, value investors own bargains - securities trading at a discount to underlying value which confer a margin of safety. This doesn't mean those holdings can't or won't drop in price; it means that when they decline, they'll be an even better bargain to which you are likely to seek to add. In difficult times, value investors certainly benefit from their relentlessly-kept discipline by having avoided highly-leveraged stocks, troubled financials, perpetually marginal businesses, and risky junk bonds. When the market drops, holders of such speculations quickly regret their choices.