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2013年9月8日日曜日

事業価値の算出という技(セス・クラーマン)

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ファンド・マネージャーのセス・クラーマンの著書『Margin of Safety』からご紹介します。今回から、第8章「事業価値の算出という技」(The Art of Business Valuation)をとりあげます。なお、前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

投資先の価値は厳密に見定めている、と強調する投資家が多い。この不確実なる世界において正確さを求めているのだ。しかし事業の価値とは正確に決められるものではない。報告に出てくる簿価や純利益、キャッシュフローといったものは結局のところ、会計士がかなり厳格な基準や慣行に準拠することでなされる最善の予測でしかない。それらは経済的な価値を反映するというよりも、基準に適合させるという意味で設計されたものにすぎない。そのため予測によって描かれる姿は、それほど正確なものにはならない。自分の家の価値を数十万円の誤差で査定することはできないだろう。ならば、巨大で複雑な事業の価値を求めるのは簡単なことだと言えるだろうか。

事業価値とは正確に把握できるものではない上に、数多くの要因が揺れ動く中で時とともに変化する。それらの要因にはマクロ経済的なものや、ミクロ経済的なもの、市場に関するものがある。投資家はどのようなときにも事業の価値を厳密に見測ることはできない。それにもかかわらず、予想される価値をほぼ絶え間なく見直しつづけ、評価に影響すると思われるあらゆる既知の要因を織りこんでいかねばならない。

事業価値を正確にはかろうとする試みはどのようなものであれ、精密だが不正確な価値を導き出してしまう。これは精緻に予測する能力を、正しく予測できることと混同しやすい点に問題がある。正味現在価値(NPV)や内部収益率(IRR)は、電卓さえあれば計算できる。NPVでは、将来のキャッシュフローを現在まで割り引いて評価することで、投資対象の価値をひとつの数値として算出する。IRRでは将来のキャッシュフローと支払う金額を想定し、お望みの数値の精度で投資からのリターン率を計算する。NPVとIRRを計算すると、結果にあらわれる外見上の精度があやまった確信を投資家に抱かせてしまう。しかし計算の正確さは、算出に使われる想定キャッシュフローの正確さを超えるものではない。

コンピューターで表計算ソフトを使える時代になり、この問題はいっそう悪化した。詳細かつ周到な分析ができるとの幻想が生まれたのだ。たとえ最高に無計画な試みであってもだ。一般に投資家は、出てくる結果には非常に重きをおくが、それに対して仮定のほうはほとんど顧みることがない。「元が悪けりゃ、結果も悪い」とは、このプロセスをあらわすのにぴったりの表現と言える。

一連のキャッシュフローがもたらすリターンを集約する上で、 NPVは絶対額を、IRRはパーセンテージを見事なほどに示してくれる。たとえば債券のようにキャッシュフローが契約時に定まっており、すべての支払いが期限通りになされるのであれば、IRRは正確なリターン率を投資家に示してくれる。一方のNPVは、想定される割引率に対する投資の価値を表現する。債券に投資するのであれば、ある一連の仮定、たとえば契約上の支払いが期限通りになされるとすれば、それらの計算によってリターンがどうなるかを定量化できる。しかし、実際に契約上のすべての支払いをうけて、投資家が予想通りのリターンを達成できるかという確率を求めるとなると、そういった手段は役に立ってくれない。(p.118)

Many investors insist on affixing exact values to their investments, seeking precision in an imprecise world, but business value cannot be precisely determined. Reported book value, earnings, and cash flow are, after all, only the best guesses of accountants who follow a fairly strict set of standards and practices designed more to achieve conformity than to reflect economic value. Projected results are less precise still. You cannot appraise the value of your home to the nearest thousand dollars. Why would it be any easier to place a value on vast and complex businesses?

Not only is business value imprecisely knowable, it also changes over time, fluctuating with numerous macroeconomic, microeconomic, and market-related factors. So while investors at any given time cannot determine business value with precision, they must nevertheless almost continuously reassess their estimates of value in order to incorporate all known factors that could influence their appraisal.

Any attempt to value businesses with precision will yield values that are precisely inaccurate. The problem is that it is easy to confuse the capability to make precise forecasts with the ability to make accurate ones. Anyone with a simple, hand-held calculator can perform net present value (NPV) and internal rate of return (IRR) calculations. The NPV calculation provides a single-point value of an investment by discounting estimates of future cash flow back to the present. IRR, using assumptions of future cash flow and price paid, is a calculation of the rate of return on an investment to as many decimal places as desired. The seeming precision provided by NPV and IRR calculations can give investors a false sense of certainty for they are really only as accurate as the cash flow assumptions that were used to derive them.

The advent of the computerized spreadsheet has exacerbated this problem, creating the illusion of extensive and thoughtful analysis, even for the most haphazard of efforts. Typically, investors place a great deal of importance on the output, even though they pay little attention to the assumptions. "Garbage in, garbage out" is an apt description of the process.

NPV and IRR are wonderful at summarizing, in absolute and percentage terms, respectively, the returns for a given series of cash flows. When cash flows are contractually determined, as in the case of a bond, and when all payments are received when due, IRR provides the precise rate of return to the investor while NPV describes the value of the investment at a given discount rate. In the case of a bond, these calculations allow investors to quantify their returns under one set of assumptions, that is, that contractual payments are received when due. These tools, however, are of no use in determining the likelihood that investors will actually receive all contractual payments and, in fact, achieve the projected returns.

2013年9月6日金曜日

私たちはいつも幻覚を見ている(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)

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前回引用した『脳のなかの天使』から、もう一度ご紹介します。今回は視覚の話題です。ものを見たときに人間がどのように認知するのか、著者が考察を加えています。

おもにコンピュータ科学者によって持続されている素朴な視覚のとらえかたでは、視覚は逐次的、階層的に像を処理しているとみなされている。生のデータが画素、すなわちピクセルとして網膜に入り、そこから次々と各視覚野に、バケツリレーのように渡されて、しだいに高度な分析がそれぞれの段階でおこなわれ、最終的な物体の認知にいたるという考えかたである。この視覚モデルでは、各段階の視覚野からそれより下位の視覚野に戻される大量のフィードバック投射が無視されている。そうした逆投射はきわめて大量なので、階層という言いかたには語弊がある。私の直観するところでは、各処理段階において、入力データについての部分的な仮説、もしくは最適の推量が生みだされ、それが下位の領野に戻されて、その後の処理に小さなバイアスがかけられる。いくつかの最適推量が優位を争う場合もあるだろうが、最後には、そうしたブートストラッピングもしくは逐次代入を通して、最終的な知覚の解決がつく。あたかも視覚は、ボトムアップではなく、むしろトップダウンではたらいているかのようだ。

実を言うと、知覚と幻覚との境界は、私たちが考えるほど明瞭ではない。ある意味で私たちは、世界を見るときいつも幻覚を見ている。知覚とは、しばしば断片的かつ短命な入力データにもっともよくあう幻覚を選ぶ行為であるとみなしても、ほとんどさしつかえがないくらいだ。幻覚とほんものの知覚は、同じ一連のプロセスから生じる。決定的にちがうのは、何かを知覚しているときは、外界の事物の安定性がその固定を助けるという点である。幻覚を起こしているとき、たとえば夢うつつの状態にあるときや、感覚遮断タンクのなかで浮かんでいるときには、事物はどんな方向にでもさまよう。(p.323)


最初の赤字強調部分で示唆されている内容は重要なことだと思います。階層的に認知上のバイアスがかかるというのは、別な表現をすれば「違う種類の落とし穴がならんで待ち受けている」ということです。これに対するチャーリー・マンガーやウォーレン・バフェットの解決策は、やはり見事です。たとえば意思決定上のフィルターを階層的に設けたり(過去記事1過去記事2)、学問上の知恵を借りるときは普遍的で信頼性の高いものから特殊なものへ進むように説いています(過去記事など)。

もうひとつ、こちらの引用はおまけです。

しかしながら、近年の調査によると、天使を見たことがあると回答している人の割合は、アメリカ人全体のおよそ3分の1で、その頻度はエルヴィス目撃談をうわまわる。(p.281)

2013年9月4日水曜日

脳のなかの近道(神経科学者V・S・ラマチャンドラン)

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心理学者ダニエル・カーネマンが著書『ファスト&スロー』で、人間が持つ2つの思考機能について説明していることを、以前の投稿でとりあげました。その主張を解剖学的な観点から説明する文章をみかけましたので、ご紹介します。最近読んだ本『脳のなかの天使』からの引用です。おそらくカーネマンも、そのような知見を参考に持論を展開したと思われます。

上の2つの本における用語の対応関係ですが、以下の文章に登場する「経路1」と「経路2」が「スロー」な思考に、そして「経路3」が「ファスト」に対応しています。

経路1と経路2に加えて、もう一つ、対象物に対する情報的反応に関与する、より反射的な別の経路もあるらしい。私はそれを経路3と呼んでいる。経路1と2が「いかに(How)」と「何(What)」の流れだとすれば、経路3は「それで(So What)」の流れと考えることができる。この経路では、目、食べ物、顔の表情、生命のある動き(たとえばだれかの歩きぶりや身ぶり)といった生物学的に突出性のある刺激が、紡錘状回から側頭葉の上側頭溝(STS)と呼ばれる領域に向かい、そこを通って扁桃体に直行する。言いかえれば経路3は、高次の対象認知(と経路2を通して呼び起こされる関連のさまざまなものごと)をバイパスして近道をとり、情動の中核をなす辺縁系への入り口である扁桃体に、すみやかに到達する。この近道はおそらく、生得的であるか後天的に学習されたものであるかにかかわらず、重要度の高い状況に対するすばやい反応を促進するために進化したものと思われる。

扁桃体は過去に貯蔵された記憶や辺縁系のほかの構造体と協同して、あなたが見ているものの情動的な意味や重要性を評価する。それは友だちか、敵か、配偶相手か? 食べ物か、水か、危険か? それともどうということのないものか? もしそれが重要ではないものだったら--ただの丸太や、糸くずや、風に鳴っている木だったら--あなたはそれに対して何も感じず、おそらくそれを無視するだろう。しかしそれが重要なものだったら、ただちに何かを感じる。そしてそれが強い感情だったら、扁桃体から出る信号が視床下部にも流れこむ。視床下部はホルモンの放出を調整しているほかに、自律神経系を活性化させて、摂食、闘争、逃走、求愛など、状況に応じた適切な行動をするための準備態勢をとらせる。そうした自立反応には、心拍数の増加、浅く速い呼吸、発汗など、強い情動をあらわすさまざまな生理的徴候がともなう。人間の場合は扁桃体が前頭葉とも結びついており、それが基本的な情動の混合に微妙な趣(おもむき)を加味するので、単なる怒りや欲望や恐怖だけではなく、傲慢、プライド、警戒、あこがれ、闊達さなども生じる。(p.100)


本ブログではこの種の話題をたびたびとりあげていますが、個人的には「人間はまちがえるようにできている」と考えるようになりました。これは、「人間が進化的にあやまった種だ」という意味ではなく、「現代の特定の局面では、人間の持つ機能はあやまちを導きやすい」という意味です。チャーリー・マンガーはその宿命を回避する鍵を示しているようにみえます。たとえばウォーレン・バフェットとコンビを組むことで意思決定のあやまちを減らしたり、物事を探求するお手本としてチャールズ・ダーウィンのやりかたを説きつづけています(過去記事の例)。

なお脳神経からとらえた投資の本としては、ジェイソン・ツヴァイクが書いた『あなたのお金と投資脳の秘密』を以前にご紹介しました(過去記事)。今となってはよく知られている話題も少なくないですが、総じておもしろく読めた一冊でした。

2013年9月2日月曜日

「最良」の投資家になる方法(ボブ・ロドリゲス)

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わたしの好きなファンド・マネージャー、ボブ・ロドリゲス氏がバリュー投資の情報誌からのインタビューに応じていました。彼のファンドFPAのWebサイトに、記事が掲載されているPDFファイルがアップロードされています。今回は、同氏が語る見事な運用ぶりの秘訣をご紹介します。(日本語は拙訳)

Value Investor Interview with Bob Rodriguez and Dennis Bryan (FPA) (PDFファイル)

<質問> ファンドのポートフォリオは現在30銘柄を下回っていますね。これはいつものことですか。

<デニス・ブライアン> 概して言えば、20から40の銘柄を保有しています。そのうち上位10銘柄がポートフォリオ全体の40-50%を占めています。この水準まで集中させているのは、保有するどの銘柄でも差をつけることができるようにと考えているためです。私たちの信条からすればもっと集中しても問題ないのですが、銘柄数をしぼりすぎると価格変動が大きくなり、顧客のほうでよく問題になってしまうのです。

<ボブ・ロドリゲス> 実際に私は、1984年の6月30日からこの方針をとりつづける実験をしたことがあります。IRA口座[個人が運用する退職年金口座。運用時は非課税]を開設し、そこで当社のキャピタル・ファンド(Capital Fund)が保有する株式だけにずっと投資してきました。ただし銘柄数は最大5つまでに限定しました。株を買うのはファンドが買い付けた後になってから、売るのもファンドが売却した後に、と決めました。これを始めてから2009年12月31日までに、その最終日は私が運用の第一線から引退した日ですが、キャピタル・ファンドは複利でおよそ年率15%増加しました。一方のIRA口座は、複利で年率24%増でした。その上乗せ分がなぜ生じたのかを考えると、集中度を高めたことと、他者が感情的になって資金の出入りを決めることに左右されなかったのが原因だと思います。このやりかたをする私こそ、「最良」の投資家だったのです。(p.4)

Your portfolio today has fewer than 30 positions. Is that typical?

DB: Generally speaking, we have 20 to 40 positions, with 40-50% of the portfolio in the top ten. That level of concentration is simply a function of wanting every position to potentially be a difference maker. Philosophically we would have no problem with concentrating even more, but clients often have a problem with the volatility that comes with having fewer holdings.

RR: I actually have an experiment going on this front since June 30, 1984. I have an IRA account that was set up then and over that period has only been invested in stocks that the Capital Fund has owned, but with never more than five holdings at a time. I'll buy a stock only after the fund buys it and sell only after the fund sells it. From June 30, 1984 to December 31, 2009, when I stepped down from lead management, the Capital Fund had compounded at approximately 15% per year. But this IRA account had a compound rate of return of 24%. I attribute that premium to the higher concentration and to the fact that at no point has this account been affected by the inflows and outflows resulting from others' emotional decision making. I was the only investor.


すぐれた投資家の行動を注視するやりかたは、少し前にも取り上げました。上で引用したボブ・ロドリゲスの場合は自分で自分を参考にしていて若干趣向が異なっていますが、同類としてあつかえると思います。

共食いをさがせ(モーニッシュ・パブライ)
マクドナルド、いただきます(モーニッシュ・パブライ)

ところで、年率24%増だと約3年間で2倍になる計算です。いわゆる10年強で10倍のペースですね。これを課税口座で達成するのは容易ではないと感じています。証券投資というものは、つくづく興味深い世界だと思います。

2013年9月1日日曜日

ビリヤードでもテニスでもチェスでもない(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーによる講演『経済学の強みとあやまち』の14回目です。前回だされた問題の答えにあたる部分です。(日本語は拙訳)

視覚と手指を反射的に協調させることが多く要求されるものではないでしょう。85歳にもなる人が全国ビリヤード大会で勝てることはないですから。テニスともなればなおさらで、まずあり得ません。さらに彼は指摘しました。チェスも無理ですね。この物理学者はとてもうまい指し手なのです。なぜならば、厳しいゲームだからです。システムが非常に複雑ですし、多大なスタミナも要求されます。ここまできて彼は思いあたり、チェッカーのことに思い至りました。「ああそうか、そのゲームなら85歳になった時でもいろいろ経験してきたことが最高位へと導いてくれますね」。

はたして、それが正解でした。

それはともかく、逆方向と順方向に発想を逆転させながら、そういった頭で考える謎解きをすることをお勧めします。併せて経済学の世界では、ここで示したような小さなスケールでのミクロ経済学に熟達するのがよいでしょう。

It can't be anything requiring a lot of hand-eye coordination. Nobody eighty-five years of age is going to win a national billiards tournament, much less a national tennis tournament. It just can't be. Then, he figured it couldn't be chess, which this physicist plays very well, because it's too hard. The complexity of the system and the stamina required are too great. But that led into checkers. And he thought, "Ah ha! There's a game where vast experience might guide you to be the best even though you're eighty-five years of age."

And sure enough that was the right answer.

Anyway, I recommend that sort of mental puzzle solving to all of you, flipping one's thinking both backward and forward. And I recommend that academic economics get better at very small-scale microeconomics as demonstrated here.