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2012年3月31日土曜日

プリンストンへのふざけ半分の手紙(ロバート・ルービン)

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ルービンという名前を聞くと、クリントン政権時代の閣僚で日本経済をこてんぱんにしてくれた印象があり、これまではなんとなく近寄るきっかけがありませんでした。が、少し前にチャールズ・エリスの『ゴールドマン・サックス』を読んだところ、控えめな言動ぶりが意外で(他の歴代頭領は、ごり押し型が多いのです)、彼に対して少しばかり興味を持ち始めていました。そして別の理由もあり、めぐりめぐって『ルービン回顧録』を手にとることになりました。

今回は同書からの引用で、ちょっとした粋なやりとりです。こういったウィットを交わせる大人になりたいものです。

[ハーバード大学を]卒業後、私は四年前不合格にされたプリンストン大学の入試部長にふざけ半分の手紙を出した。「貴大学の卒業生を追跡調査しておられることと拝察いたします。他方で貴大学に合格を許されなかった学生のその後にも興味がおありではないかと存じます。このたび私は最優等とファイ・ベータ・カッパ[優等学生友愛会の会員資格]をいただき、ハーバード大学を卒業いたしましたことをお知らせしたくお手紙を差し上げました」。すると、部長から折り返し返事があった。「お手紙ありがとうございます。毎年、プリンストンでは非常に優秀な学生を何名か不合格にしなければならないと考えております。ハーバードにも、すぐれた学生が入学できるように」 (p.87)


蛇足ですが、上述の『ゴールドマン・サックス』は楽しめた本です。アツい男たちのチーム・プレーや心意気が描かれており、ひきこまれました。自分の人生やポリシーとはまったく違うので、この手の世界には無意識にあこがれているのかもしれません。

2012年3月30日金曜日

シルバーの投資でいちばんへまをやった人

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ウォーレン・バフェットに対する反論としてマーク・ファーバーの見解を以前ご紹介しましたが(過去記事)、今回はシルバー陣営からのものをご紹介します。Jim Cookという、シルバー・アナリストのエッセイREMEMBER SILVERから引用します。(日本語は拙訳)

先日、ウォーレン・バフェットがゴールドについて否定的なコメントを出したので、ウォール街の住人やワシントンの役人たちを刺激したようです。ゴールドの信奉者は怒り心頭ですよ。しかし、バフェット氏の矛先がシルバーには向いていなかったのは、なぜでしょう。それは、彼こそがシルバー投資でいちばんへまをやった張本人だったからかもしれませんな。なにせ、一時期は世界中のシルバーの供給量の37%を保有していたんですよ。1オンス6ドル平均で1.3億オンス[合計で約800億円]買ったのが、1998年の5月。ところが2006年になって1オンス7.5ドルで売ってます。もし2010年まで我慢していれば、50億ドル[4000億円]の利益がでたでしょうに。そうそう、2006年にこういってましたな。「早く買ったのですが、早く売ってしまいました。シルバーは失敗しました」

His recent negative comments on gold titillated the Wall Street and Washington establishment. Gold bugs seethed with resentment. However, Mr. Buffett didn’t mention silver in his latest barrage of opinions. That’s probably because he’s the dumbest silver investor in history. At one time he owned 37% of the worlds known silver supply. In May 1998 he purchased 130 million ounces of silver at an average price of $6.00. He sold it in 2006 for $7.50 an ounce. If he had held it until 2010 he would have made a profit of $5 billion. He commented in 2006 that “I bought early and sold early. Silver was my fault.”

シルバーでの失敗というとハント兄弟のほうが有名ですが、あちらは「投資」ではなく「投機」といったところでしょうか。

さて、ここでご紹介したかったのは、実はこの一節ではなく、同じサイトに転載されているTed Butlerの文章です。過去のものがこちらに一覧されています。テッドは、世界でいちばん信頼されているであろうシルバーのアナリストで、わたしがシルバーに投資しはじめたのも彼の文章を読んだのがきっかけでした。ネタが少ないので話題が繰り返されていますが、基本的な知識を得るには役に立つかと思います。

最近はゴールドと共にシルバーの価格も下がってきており、再び注視する時期がやってきました。

2012年3月29日木曜日

やることがありません(ウォーレン・バフェット)

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あれやこれやとじたばたしても、何もやることがない。そんなときには、ウォーレン・バフェットのこの文章がぴったりです。1992年度「株主のみなさんへ」から引用です。(日本語は拙訳)

[買うほうと比べると]株式を売るほうは状況が違いました。それはもう、さびれた村の一軒しかない宿に泊まることになった旅人のようなものです。部屋にはテレビもなく、退屈な夜が待っていました。と、そこでベッド脇のテーブルの上に置かれた1冊の本に目がとまりました。題名をみると『寒村での楽しみ方』。これはもしぞやと表紙をめくると、そこに書いてあるのは、ほんの一言だけでした。「今まさに、あなたがやっていること」

Selling, however, is a different story. There, our pace of activity resembles that forced upon a traveler who found himself stuck in tiny Podunk's only hotel. With no T.V. in his room, he faced an evening of boredom. But his spirits soared when he spied a book on the night table entitled "Things to do in Podunk." Opening it, he found just a single sentence: "You're doing it."

1990年代前半のS&P500のチャートを以下に挙げました。たしかに1992年は騰落幅が小さいですね。11月の大統領選をはさんで一本調子で上昇しているのはお約束でしょうか。そういえば、今年も大統領選の年ですね。


2012年3月28日水曜日

4兆円の始まり(ウォーレン・バフェット)

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3/26付けのForbesの記事Warren Buffett's $50 Billion Decisionは、パートナーシップを設立した頃の思い出をウォーレン・バフェット自身が書いたものです。アリス・シュローダーによる伝記『スノーボール』でも知られた内容ですが、微妙にニュアンスが異なっているあたりが含みを感じさせます。以下に一部を引用します。(日本語は拙訳)

大学を卒業した時[1950年]の資産は9,800ドル[現在価値で約650万円]でしたが、1955年の末には127,000ドル[8,000万円]に増えていました。ですから、[ニューヨークを離れて]オマハに戻って、大学で授業をとったり、読み物にふけったり、そんな引退生活をしようと考えていたのです。1年間で12,000ドルもあればやっていけますので、127,000ドルの資産からすれば楽勝だと思いました。妻には「複利で増えるので、いずれ金持ちになれるよ」と説明しました。

(中略)

当初は、パートナーシップをはじめたり、仕事をやるつもりはありませんでした。自分で運用する分には何も心配なかったからです。他人に株を売ってまわる仕事はもうごめんでした。ところがひょんなことから、親戚も含めた7人の知り合いが相談してきました。株の商売をしていたのだから、自分たちの資金をどう運用したらよいか教えてほしい、と。そこで私は答えました。「株を売るのはもうやりませんが、ベン・グレアムとジェリー・ニューマンがやっていたようなパートナーシップだったら作れます。私も入れておきたければ、それでもかまいません」。そういうわけで、義理の父、大学時代のルームメイトとその母親、おばのアリス、私の妹、義理のきょうだい、私の弁護士の7名が判をつきました。まったくの偶然でしたが、それがはじまりだったのです。

(中略)

特に参加を募ったわけではないですが、面識のない人からも小切手が送られてくるようになりました。その頃、ニューヨークのグレアム=ニューマン・パートナーシップは解散中でしたが、パートナーのひとりにヴァーモント州のある大学で学長をつとめるホーマー・ドッジがいました。彼はベンにたずねました。「私の資金はいったいどうしたらよいかね」。ベンいわく「以前、うちで働いていた若いのがいるのですが..」。そんなわけでドッジはオマハまで車でやってきて、借家暮らしだった私の家をたずねてくれました。当時の私は25歳でしたが、みためは17歳といったところ、ふるまいときたら12歳でしょうか。ドッジは切り出しました。「で、きみは何をやっているのですか」私は答えました。「家族と暮らしながら、ここで仕事をしています。あなたの分もいっしょにやりますよ」

The thing is, when I got out of college, I had $9,800, but by the end of 1955, I was up to $127,000. I thought, I’ll go back to Omaha, take some college classes, and read a lot?I was going to retire! I figured we could live on $12,000 a year, and off my $127,000 asset base, I could easily make that. I told my wife, “Compound interest guarantees I’m going to get rich.”

I had no plans to start a partnership, or even have a job. I had no worries as long as I could operate on my own. I certainly did not want to sell securities to other people again. But by pure accident, seven people, including a few of my relatives, said to me, “You used to sell stocks, and we want you to tell us what to do with our money.” I replied, “I’m not going to do that again, but I’ll form a partnership like Ben and Jerry had, and if you want to join me, you can.” My father-in-law, my college roommate, his mother, my aunt Alice, my sister, my brother-in-law, and my lawyer all signed on. I also had my hundred dollars. That was the beginning?totally accidental.

I did no solicitation, but more checks began coming from people I didn’t know. Back in New York, Graham-Newman was being liquidated. There was a college president up in Vermont, Homer Dodge, who had been invested with Graham, and he asked, “Ben, what should I do with my money?” Ben said, “Well, there’s this kid who used to work for me.…” So Dodge drove out to Omaha, to this rented house I lived in. I was 25, looked about 17, and acted like 12. He said, “What are you doing?” I said, “Here’s what I’m doing with my family, and I’ll do it with you.”

2012年3月27日火曜日

ガーガー鳴くアヒル(ウォーレン・バフェット)

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まずは、下に挙げたS&P500の1990年代から現在までのチャートをごらんください。1997年以降にご注目です。









2008-2009年の暴落では、1997年初の株価水準まで戻しました。1997年といえばアメリカではITバブル真っ最中だったころですね。朝にTVをつけてNHKのニュースをみると、毎日のように新規上場企業のCEOがNYSEの鐘をついていたのを思い出します。さて、今回はそんな時代のウォーレン・バフェットによる1997年度「株主のみなさんへ」から引用です。

1997年がそうだったように、株価が上がっているときは誰でも大きなリターンを達成できるものです。上昇相場で避けなければならないのは、にわか雨がざっと降った後で「漕いで進むのがずいぶんうまくなったものだ」と考えながら、自慢げに鳴きたてて毛づくろいをするアヒルのようになってしまうことです。そうではなくて、どしゃ降りの後に他の仲間と比べて、池のどのあたりに留まっていられたかを考えるアヒルのほうが正しいでしょう。

Any investor can chalk up large returns when stocks soar, as they did in 1997. In a bull market, one must avoid the error of the preening duck that quacks boastfully after a torrential rainstorm, thinking that its paddling skills have caused it to rise in the world. A right-thinking duck would instead compare its position after the downpour to that of the other ducks on the pond.

おまけのチャートです。1997年以来のS&P500とバークシャー・ハサウェイ(BRK.A)の株価を比較したものです。









二度のどしゃ降りの中、S&P500は行きつ戻りつですが、バークシャーはずっと先まで前進していますね。