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2017年9月16日土曜日

反脆いシステムとは(ナシーム・ニコラス・タレブ)

『ブラック・スワン』で有名なナシーム・ニコラス・タレブが書いた新刊の邦訳『反脆弱性』を、少し前に読了しました。実は数年前に原書のペーパーバックをある方から頂いており、いつでも読む機会はあったのですが、もたもたしているうちに翻訳版が出版されてしまいました。

「反脆さ」(Antifragile。名詞形Antifragilityの訳語は反脆弱性)という言葉はタレブ自身による造語で、「脆さ」とは逆に機能する性質を示す概念です。短い文章で表現すれば、「変化に際して、以前よりも強くなる」といった意味かと思います。本書では著者が経験したり学んだりした「反脆い」事例が列挙されており、読み進めることでその概念をよりよく理解できるようになります。

著者タレブが主張する論理や哲学は完全無欠からは遠いと思いますし、例によって侮蔑的な文章もそれなりに紙面を費やしています。しかしそれらを大きく割り引いたとしても、本書に目を通して彼が築いた「反脆弱性」の概念になじむ価値は大きいと思います。たとえばリスク管理やシステム分析のツールとして有用だからです。さらに言えば、メンタル・モデルのひとつとして位置づけるにふさわしい概念だからです。

今回は同書から「反脆い」物事の一例として「反脆いシステム」に関する部分を引用してご紹介します。まずは、どのようなシステムが「反脆い」のかを説明した文章です。

工学者であり工学の歴史家でもあるヘンリー・ペトロスキーは、見事な点を衝いている。タイタニック号があのような致命的な事故を起こさなければ、私たちはどんどん大きな客船を造りつづけ、次の災害はさらなる大惨事になっていただろう。つまり、あの事故で亡くなった人々は、より大きな善のために犠牲になったのだ。間違いなく、亡くなった人数よりも多くの人命を救っている。タイタニック号のエピソードは、システム全体の利と個々の害との違いを物語っている。

同じことはフクシマの事故についても当てはまる。間違いなく言えるのは、この事故によって私たちは原子炉(や微小な確率)の問題点に気づき、もっと大きな災害を防ぐことができたということだ(ちなみに、ストレス・テストの甘さやリスク・モデルへの誤った依存は、もともと明らかだった。だが、経済危機と同じで、誰も聞く耳を持たなかったのだ)。[過去記事1, 2]

飛行機の墜落事故が起きるたびに、安全性は増し、システムは改良され、次のフライトが安全になっていく。亡くなった人たちは、残りの人々の安全全体に寄与しているのだ。スイス航空111便、トランスワールド航空800便、エールフランス航空447便の事故は、航空システムの改善につながった。だが、こういったシステムが失敗を教訓にできるのは、システムが反脆く、小さな失敗を活かすようにできているからだ。

一方で、経済の崩壊については同じことは言えない。現在の経済システムは反脆くないからだ。なぜか? 飛行機は1日に何十万便と運航されているが、ひとつの飛行機が墜落しても、ほかの飛行機を巻きこむわけではない。そのため、失敗は制限されていて、大きな教訓になる。一方、グローバル化した経済システムはひとつとして機能している。失敗は広がり、複雑化する。

重要なので繰り返すが、ここで話しているのは全体的ではなく部分的な失敗だ。深刻で致命的な失敗ではなく、小さな失敗だ。よいシステムと悪いシステムの違いはここにある。航空業界のようなよいシステムは、失敗が起こるにしても小さく、互いに独立している。失敗によって将来の失敗の確率が減るので、いわば失敗同士が負の相関関係を持っている。この考え方は、反脆い環境(航空業界)と脆い環境(縦横無尽につながりあった"フラット化する世界"的な現代の経済生活)を区別するひとつの方法だ。(p. 128)

次は、「反脆い」システムを築き上げる際に重要な特性についてです。

脆さや反脆さを見極める(または、このあとの数章でデブのトニーが実演してくれるように、嗅ぎ分ける)のは、事象の構造を予測したり理解したりするよりもずっと簡単だ。したがって、私たちがしなければならないのは、予測ミスによる損失を最小化し、利得を最大化する方法を考えることだけだ。つまり、私たちが間違いを犯しても崩壊しない(さらには崩壊を逆手に取るような)システムを築くことが大事だ。

(中略)

事象が起きたあと、私たちが反省すべきなのは、事象(たとえば津波、アラブの春や暴動、地震、戦争、金融危機など)そのものを予測できなかったことではなく、脆さや反脆さを理解していなかったことについてだ。「どうして私たちはこの種の事象にこれほど脆いシステムを作ってしまったのか?」と考えるべきなのだ。津波や経済危機を予見できないのは仕方がない。でも、津波や経済危機に対して脆いシステムを作るのは罪だ。(p. 228)

上の文章を読むだけでも、「反脆いシステムにはなんらかの冗長性が要求される」ことが読みとれます(原発で大失敗をした日本をコケにしていることも読みとれます)。ちなみに本書では、冗長さの必要性が繰り返し説かれています。

そして次の文章では、崩壊を逆手に取った一例が示されています。バークシャーの再保険事業が思い起こされます。

自分自身の失敗を歓迎する企業もある。たとえば、壊滅的なリスクに保険をかける(または保険会社が分散不可能なリスクを"再保険"するために利用する)再保険会社は、会社に大打撃を与える災害やテールの事象を経験すると、かえって業績がアップしたりする。会社が破綻を免れ、万が一の事態に備えていれば(こういう緊急時のための計画を立てられる企業はほとんどないが)、保険料を不釣り合いに吊り上げて、損を埋めあわせることができる。顧客は過剰反応し、今までより高い保険料を支払うからだ。再保険会社は再保険の公正価格(つまり適正な価格)なんてわからないと言うが、不穏な時代に保険料が高騰するということは間違いなく知っている。それだけでも、長期的な儲けを得るには十分だ。会社に必要なのは、生き残れるように失敗を小さく抑えることだけだ。(p. 130)

最後におまけです。タレブらしさがよくでている哲学的な文章です。

いちども罪を犯したことのない人間は、いちどだけ罪を犯した人間よりも信頼できない。そして、何度も間違いを犯した人間のほうが、いちども間違いを犯したことのない人間よりはまだ信頼できる。ただし、同じ間違いを2回以上犯していなければの話だが。(p. 131)

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