ot

2015年3月4日水曜日

2014年度バフェットからの手紙(3)バークシャーの経営を始めた頃(前)

ウォーレン・バフェットによる2014年度「バフェットからの手紙」をひきつづき取りあげています。今回からは「第2部のバークシャー過去編」になります。バークシャーの歴史は随所で触れられてきましたが、こうしてウォーレン自身の文章を読むのも味わいがあります。前回の投稿はこちらです。(日本語は拙訳)

はじまりのころ

1964年5月6日のことです。当時はシーベリー・スタントンという男性が率いていたバークシャー・ハサウェイ社が、株式公開買付けの通知を株主に対して送りました。1株当たりの買付け価格は11.375ドルとされていました。通知書が来るのは予想どおりでしたが、その金額にはおどろきました。

バークシャーが当時発行していた株式数は1,583,680株で、およそ7%をバフェット・パートナーシップ・リミテッド(BPL)が保有していました。BPLとは、わたしが管理運営していた投資上の事業体です。わたしの資産は事実上すべてBPLに投じていました。買付けの通知が届く少し前に、スタントン氏から連絡がありました。「いくらであれば、BPLは持ち株を売るのですか」と訊ねられたので、「11.5ドルです」と答えました。「わかりました、それでいきましょう」と彼は言いました。その後に届いた通知を見ると、金額が1/8ドル引かれていました。わたしはスタントン氏の振舞いに怒りをおぼえ、申込みませんでした。

このおろかな判断が、それからのすべてを決めることになったのです。

当時のバークシャーは北部を拠点とする織物の製造会社で、ひどい商売にはまりこんでいました。バークシャーが営業していた業界は、比喩的にも物理的にも南へと下っている途中でした。そしてバークシャーは、さまざまな理由から歩みを変えられずにいました。

その業界の問題は以前からひろく理解されていたにもかかわらず、それらは真実でした。1954年7月29日付けのバークシャーの取締役会議事録を読むと、容赦のない事実が記されています。「ニューイングランド地方における織物産業は、40年前から事業の撤退を開始している。その潮流は戦時中には停止していたものの、需要と供給が釣り合うまでは、その潮流は継続せざるを得なかった」。

その取締役会があった1年後、バークシャー・ファイン・スピニング・アソシエイツ社とハサウェイ・マニュファクチャリング社は合流しました。両社とも起源を19世紀にさかのぼれる会社でしたが、それ以降の社名は現在も使われているものに変わりました。合併後の会社は14の工場と1万名の従業員を擁し、ニューイングランドにおける織物会社の巨人となりました。しかし双方の経営陣が合併上の合意事項とみなしていたことが、早々に心中(しんじゅう)へと姿を変えました。両社が一体化して7年間、累積でみた営業上の業績は損失にとどまり、純資産は37%減少しました。

その一方で、会社は9つの工場を閉鎖しました。清算によって得られた資金で自社株買いを実施することもありました。そしてその行動パターンが、わたしの目に留まったのです。

BPLの資金でバークシャー株をはじめて買ったのは1962年の12月でした。「さらに工場を閉めて、もっと自社株買いをやる」だろうと予想したのです。当時の株価は7.5ドルでしたが、1株当たりの運転資本は10.25ドルあり、簿価は20.2ドルと大幅に割安でした。その株をその値段で買うことは、捨てられた吸殻からもう1回吸えるものを拾い上げるのと同じことです。吸い口は不快で湿ってはいるものの、無料で1回吸えるのです。しかしひとときの楽しみが済めば、それ以上は期待できません。

その後、バークシャーは台本どおりに行動します。さらに2つの工場を早々に閉め、1964年5月の動議で、工場閉鎖によって得た資金で自社株買いを実施することになりました。スタントンが提示した金額は、わたしたちが購入した金額よりも50%高いものでした。無料で吸えるその1回分が、ちょうどわたしを待っていてくれたのです。その1回を吸い終えた後には、別の吸殻をさがしによそへ行くことができます。

しかしスタントンの一突きに憤慨したわたしは、そうするかわりに彼の提案を無視して、さらなるバークシャー株を勢いよく買い始めたのです。(PDFファイル23ページ目)

In the Beginning

On May 6, 1964, Berkshire Hathaway, then run by a man named Seabury Stanton, sent a letter to its shareholders offering to buy 225,000 shares of its stock for $11.375 per share. I had expected the letter; I was surprised by the price.

Berkshire then had 1,583,680 shares outstanding. About 7% of these were owned by Buffett Partnership Ltd. ("BPL"), an investing entity that I managed and in which I had virtually all of my net worth. Shortly before the tender offer was mailed, Stanton had asked me at what price BPL would sell its holdings. I answered $11.50, and he said, "Fine, we have a deal." Then came Berkshire's letter, offering an eighth of a point less. I bristled at Stanton's behavior and didn't tender.

That was a monumentally stupid decision.

Berkshire was then a northern textile manufacturer mired in a terrible business. The industry in which it operated was heading south, both metaphorically and physically. And Berkshire, for a variety of reasons, was unable to change course.

That was true even though the industry's problems had long been widely understood. Berkshire's own Board minutes of July 29, 1954, laid out the grim facts: "The textile industry in New England started going out of business forty years ago. During the war years this trend was stopped. The trend must continue until supply and demand have been balanced."

About a year after that board meeting, Berkshire Fine Spinning Associates and Hathaway Manufacturing - both with roots in the 19th Century - joined forces, taking the name we bear today. With its fourteen plants and 10,000 employees, the merged company became the giant of New England textiles. What the two managements viewed as a merger agreement, however, soon morphed into a suicide pact. During the seven years following the consolidation, Berkshire operated at an overall loss, and its net worth shrunk by 37%.

Meanwhile, the company closed nine plants, sometimes using the liquidation proceeds to repurchase shares. And that pattern caught my attention.

I purchased BPL's first shares of Berkshire in December 1962, anticipating more closings and more repurchases. The stock was then selling for $7.50, a wide discount from per-share working capital of $10.25 and book value of $20.20. Buying the stock at that price was like picking up a discarded cigar butt that had one puff remaining in it. Though the stub might be ugly and soggy, the puff would be free. Once that momentary pleasure was enjoyed, however, no more could be expected.

Berkshire thereafter stuck to the script: It soon closed another two plants, and in that May 1964 move, set out to repurchase shares with the shutdown proceeds. The price that Stanton offered was 50% above the cost of our original purchases. There it was - my free puff, just waiting for me, after which I could look elsewhere for other discarded butts.

Instead, irritated by Stanton's chiseling, I ignored his offer and began to aggressively buy more Berkshire shares.

0 件のコメント: