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2016年3月30日水曜日

我らを導く2つの掟(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーが2000年にフィランソロピー円卓会議で行った講話の最終回(10回目)です。しびれる話題で締めくくりをするのは、あいかわらずです。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

朝食会の場で物思いにふける話題としては、見事に資格がないのはわかっています。私の話した内容がことごとく正しいとすれば、我々が現在享受している繁栄は普通株に関連した「資産効果」によって、過去に起きたさまざまな急上昇期よりも強力な後押しを受けていたことになります。その中には不愉快なものも含まれていますよ。もしそうであれば、このところの好調期に大きく上昇したものは、将来の株価下落時のどこかで大きく下落するかもしれません。もしかしたら経済学者らはいずれ、株式市場の上下動が長く続くとみなされたときに、「株式市場が1ドル上がるごとに選択的支出を上昇させる圧力よりも、1ドル下がるごとに下落させる圧力のほうが大きい」と結論付けるようになるかもしれません。しかし、経済学者らが他の分野から最良の概念を借りることで力添えを得たいと望んだり、あるいは日本のことをもっとじっくり観察する意思があれば、以前からそのように確信していたと思いますね。

日本とくれば、経済学で言う「美徳効果」をずっと長期間にわたって存在させたいのも私の願いです。たとえば美徳を背景に成功した複式簿記がヴェニスに盛時をもたらしましたが、それとはある種反対の効果によって、公然となった腐敗した会計がやがては長期的な悪しき結末を生み出すからです。金融界での光景をみてソドムとゴモラを思い出すようになったら、現実問題としてどんなことになるのか心配しておいたほうがいいですよ。たとえその顛末に加わりたいと考えていてもです。

最後になります。今日私から示した結論が慈善財団に対して示唆するものは、以前に財団の財務担当役員諸氏へ話した結論も込みになりますが[過去記事]、投資上の技術を示唆するところをずっと超えているのは間違いないと思います。私が正しければ米国におけるほぼすべての財団は、より巨大なシステムと関わっている自分たちの資産運用業務を理解し損ねており、それゆえに賢明さを欠いています。そうだとすれば、良き状態とは言えません。大筋で当たっている掟として、次のようなものがあります。「ある組織が複雑なシステムに取り組むやりかたがそれなりにバカげているならば、その他もおしなべてバカげている」。ですから、財団への寄付に関して良しとされていることは、資産運用面での実情と同じように改善する必要があるかもしれません。ここでもさらに古き2つの掟が我々を導いてくれます。第一が「道義に従え」、第二が「聡明であれ」です。

道義のほうはサミュエル・ジョンソンによるものです。「責任ある公職者がたやすく取り除ける無知状態を放置したままでいることは、道義的義務を果たすという点で信用できない不正な行為だ」と彼は確信していました[過去記事]。聡明のほうの規則は、かつてのワーナー・スウェイジー社が工作機械を宣伝した広告を下敷きにしています。次のような文句です。「新しい工作機械をお望みなのに未だ購入されていないお客様は、すでに対価をお支払いになっていらっしゃいます」[過去記事]。ワーナー・スウェイジー社の規則は、思考する際の道具にも間違いなく当てはまりますよ。適切な思考道具を持っていない人は容易に取り除ける無知さゆえに、その人が助けたいと望む相手共々、以前から苦しみ続けているのですから。(おわり)

Well, this is enough uncredentialed musing for one breakfast meeting. If I am at all right, our present prosperity has had a stronger boost from common-stock-price-related "wealth effects", some of them disgusting, than has been the case in many former booms. If so, what was greater on the upside in the recent boom could also be greater on the downside at some time of future stock price decline. Incidentally, the economists may well conclude, eventually, that, when stock market advances and declines are regarded as long-lasting, there is more downside force on optional consumption per dollar of stock market decline than there is upside force per dollar of stock market rise. I suspect that economists would believe this already if they were more willing to take assistance from the best ideas outside their own discipline, or even to look harder at Japan.

Remembering Japan, I also want to raise the possibility that there are, in the very long term, "virtue effects" in economics - for instance that widespread corrupt accounting will eventually create bad long-term consequences as a sort of obverse effect from the virtue-based boost double-entry bookkeeping gave to the heyday of Venice. I suggest that when the financial scene starts reminding you of Sodom and Gomorrah, you should fear practical consequences even if you like to participate in what is going on.

Finally, I believe that implications for charitable foundations of my conclusions today, combined with conclusions in my former talk to foundation financial officers, go way beyond implications for investment techniques. If I am right, almost all U.S. foundations are unwise through failure to understand their own investment operations, related to the larger system. If so, this is not good. A rough rule in life is that an organization foolish in one way in dealing with a complex system is all too likely to be foolish in another. So the wisdom of foundation donations may need as much improvement as investment practices of foundations. And here we have two more old rules to guide us. One rule is ethical, and the other is prudential.

The ethical rule is from Samuel Johnson, who believed that maintenance of easily removable ignorance by a responsible officeholder was treacherous malfeasance in meeting moral obligation. The prudential rule is that underlying the old Warner & Swasey advertisement for machine tools: "The man who needs a new machine tool, and hasn't bought it, is already paying for it". The Warner & Swasey rule also applies, I believe, to thinking tools. If you don't have the right thinking tools, you, and the people you seek to help, are already suffering from your easily removable ignorance.

2016年3月28日月曜日

大幅な価格下落は何を意味するのか(ハワード・マークス)

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ハワード・マークスのメモから、さらに引用します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

価格が大きく下落することは何を意味しているでしょうか。ファンダメンタルが悪化したと市場に参加する人たちが感じている、それを意味しています。ですが価格下落は反射的なものであって、予見的なものではありません。過去に起きたこと、投資家がそれに対してどう反応したのか、それらについては語ってくれます。一方、平均的な投資家が将来のことについてわかっていない、そのことについては何も語りません。ですから、「平均的な投資家はよくわかっていないし、平均的な意見に従っても平均以上の成績をあげるには役に立たない」、私はその二つを強く確信しています。

このメモをお読みになっている方は、平均的な投資家よりも良い成績をあげたいと望む方ばかりでしょう。2014年4月に書いたメモ「傑出せんとする(その2)」[過去記事]や、拙著『投資で一番大切な20の教え』で記した「二次的思考」の話題において、それを達成するには平均的投資家とは異なるやりかたで投資しなければならないと書き始めました。そのためには平均的投資家とは違った考えをする必要がありますし、さらにそのためには平均的投資家とは違った情報を使って検討したり、違う見方で情報をとらえることを意識しなければなりません。市場の挙動が示すシグナルに単純に従うわけにはいかないのです。

これは論理的に考えれば済むことです。つまり価格動向が平均的な見方を反映しているときは、その前提となった助言に従ったところで、平均以上の成績をあげる役には立ちません。(p.5)

What do big price declines mean? They mean market participants sense fundamental deterioration. But what price declines say is reflective, not predictive. They tell you about the events that have occurred, and how investors have reacted to them. They don't tell you anything that the average investor doesn't know about future events. And, again, I'm firmly convinced (a) the average investor doesn't know much, and (b) following average opinion won't help you attain above average results.

Most of my readers want to perform better than the average investor. As I've set out in "Dare to Be Great II" (April 2014) and in the discussion of "second level thinking" in my book The Most Important Thing, to accomplish that, you have to invest differently than the average investor. To do that, you have to think differently than the average investor. And to do that, you have to consider different inputs than the average investor, or consider inputs differently. You simply can't follow the signals their behavior provides.

It's a matter of logic: if price movements reflect average opinion, following their supposed advice can't help you perform above average.

2016年3月26日土曜日

市場の意見に耳を傾けるべきか(ハワード・マークス)

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ハワード・マークスのメモから、ひきつづき引用します。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

協調しあうものがあるとすれば、それは感情だと思います。それは群衆行動や集団ヒステリーの中に組み込まれているので、たとえば1万名もの人たちがパニックになれば、その感情は雪だるまのように膨らむでしょう。お互いに影響しあうことで感情が増幅されるため、市場全体としてみたパニックの水準は、個々人それぞれのものより大きくなるかもしれません。この件はのちほど改めてとりあげます。

ここで、投資において一番重要な目標を考えてみます。それは安く買うことです。なにかを買う際には、根底にある資産や利益の価値よりも(すなわちバリュー投資)、あるいは将来の可能性よりも(すなわちグロース投資)過小評価された値段で買いたいものです。どちらにおいても、市場がまちがって捉えている対象を探し求めます。「市場は常に正しい」と考えるのならば、つまり効率的市場仮説ですが、アクティブ投資家としては生きていけないでしょう。しかし現にそうして生きているのですから、市場が示す合意よりも自分たちのほうがよくわかっていると信じるべきだと思います。ですから当然ながら、「市場つまり総体としてみた自分以外の全投資家が、なんでも知っている、もしくは自分以上に知っている、あるいは常に正しい」と考えるべきではありません。これが第二の要点です。

第三の要点は論理的に導かれます。「自分よりもわかっていない人々から指示を受ける必要があるのだろうか」。以前に書いたメモ「ソファに腰かけて」の文中で、「客観的で理にかなったニュートラルで安定したポジション、投資家がそのようなポジションを維持できることは稀である」と述べました。みなさんはその意見に対して賛否のどちらでしょうか。市場とは、客観的かつ合理的なファンダメンタル分析家でしょうか。それとも投資家の感情を示す度合いでしょうか。今日の市場がとる行動は、成熟した大人が模倣すべきものだと思えるでしょうか。

私からすれば、はっきりしています。判断力の面では、市場は平均以上の能力を持っていません。しかし感情面で平均以上になることはよくみられます。だからこそ市場の判断に従うべきではないのです。事実、逆張り派の哲学は「概して言えば、群集のとる行動と反対にせよ。極端な時期にはなおさらである」という前提に基づいています。私の好むやりかたです。(p.2)

If anything, I think it's emotion that's synergistic. It builds into herd behavior or mass hysteria. When 10,000 people panic, the emotion seems to snowball. People influence each other, and their emotions compound, so that the overall level of panic in the market can be higher than the panic of any participant in isolation. That's something I'll return to later.

Now let's think about the first goal of investing: to buy low. We want to buy things whose price underestimates the value of the underlying assets or earnings (value investing) or the future potential (growth investing). In either case, we're looking for instances when the market is wrong. If we thought the market was always right - the efficient market hypothesis - we wouldn't spend our lives as active investors. Since we do, we'd better believe we know more than the consensus. So by definition we must not think the market - that is, the sum of all other investors - knows everything, or knows more than we do, or is always right. That's point number two.

And that leads logically to point number three: why take instruction from a group of people who know less than you do? In "On the Couch," I wrote that it all seems obvious: investors rarely maintain objective, rational, neutral and stable positions. Do you agree with that or not? Is the market a clinical and rational fundamental analyst, or a barometer of investor sentiment? Does the market's behavior these days look like something a mature adult should emulate?

It seems clear to me: the market does not have above average insight, but it often is above average in emotionality. Thus we shouldn't follow its dictates. In fact, contrarianism is built on the premise that we generally should do the opposite of what the crowd is doing, especially at the extremes, and I prefer it.

2016年3月24日木曜日

市場は何を理解しているのか(ハワード・マークス)

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前回取りあげたハワード・マークスが書いたメモから、続きの文脈にあたる箇所を引用します。(日本語は拙訳)

それでは、市場は何を理解しているのでしょうか。この目的において大切なのは、「市場としての」洞察のようなものは実際には存在しないと理解することです。たしかに市場には多くの人が参加しています。しかし市場とは、その参加者の集合以上のものではありません。彼らが持つ知識の総計以上のことは「知って」いないのです。

この点は非常に大切です。「市場は、参加者の抱く洞察すべてを超えた特別な識見を有している」と考える方がおられましたら、私の考えとは根本的に相容れません。群集が協調して考えるわけではないのです。私が思うに、市場の有する投資上のIQが参加者の平均IQより高いことはありません。取引を行うだれもが、ある時点における資産価格を決める際に、売買数量に応じた票を投じるのです。

価格を決めるその時には、あらゆる異なったレベルの能力を持つ人たちが共に行動します。知識や経験、判断力、感情的傾向のすべての面において違っているわけです。しかし市場は、そういった何かに卓越した特定の人物に対して、他の人以上の影響力を与えることはしません。短い間では特にそうです。「市場価格とは、市場参加者の平均的な判断力を反映しただけのもの」というのが、この件に関する私の結論です。これが第一の要点です。(p.1)

So, what does the market know? First it's important to understand for this purpose that there really isn't such a thing as "the market." There's just a bunch of people who participate in a market. The market isn't more than the sum of the participants, and it doesn't "know" any more than their collective knowledge.

This is a very important point. If you believe the market has some special insight that exceeds the collective insight of its participants, then you and I have a fundamental disagreement. The thinking of the crowd isn't synergistic. In my view, the investment IQ of the market isn't any higher than the average IQ of the participants. And everyone who transacts gets a volume-weighted vote in setting an asset's price at a given point in time.

People of all different levels of ability act together to set the price. They vary all over the lot in terms of knowledge, experience, insight and emotionalism. The market doesn't give the ones who are superior in these regards any more influence than the others, especially in the short run. My bottom line on this subject is that the market price merely reflects the average insight of the market participants. That's point number one.

2016年3月22日火曜日

日々の市場とは(ハワード・マークス)

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オークツリーの会長ハワード・マークスが書いたメモを1月にご紹介した直後に、彼が追加のメモを公開していました(1月19日付)。一部を引用してご紹介します。年明け早々から下落した市場を念頭に置いた文章です。(日本語は拙訳)

What Does the Market Know? [PDF] (Oaktree Capital Management)

下落している最中には特にみられることですが、「市場には知性がある」と多くの投資家が考え、何が起こっているのか、またどうしたらよいのか教わりたがるようになります。これも最大の過ちのひとつです。ベン・グレアムが指摘したように、日々の市場とはファンダメンタルの分析家ではなく、投資家の心情を測る基準にすぎません。ですから、市場の動きをあまり真剣に受け止めるべきではないのです。ファンダメンタルズの面で実際に何が起きているか、市場参加者はそれについて限られた洞察しか有していません。売り買いの背後には知性があるのかもしれませんが、彼らが感情的になって揺れ動くことで、いずれも曖昧模糊となっています。ですから、このところ続いている世界的な下落を解釈して、市場がこれからやってくる厳しい時期を「感知している」と考えるのは誤っていると思います。

Especially during downdrafts, many investors impute intelligence to the market and look to it to tell them what's going on and what to do about it. This is one of the biggest mistakes you can make. As Ben Graham pointed out, the day-to-day market isn't a fundamental analyst; it's a barometer of investor sentiment. You just can't take it too seriously. Market participants have limited insight into what's really happening in terms of fundamentals, and any intelligence that could be behind their buys and sells is obscured by their emotional swings. It would be wrong to interpret the recent worldwide drop as meaning the market "knows" tough times lay ahead.